20世紀の沖縄はまさに、「破壊と建設」の世紀であった。そして世紀末には、普天間基地返還やG8サミット首脳会議の開催が突然きまりひどく騒がしかった。

かつて沖縄は、琉球王国と呼ばれ独自の歴史文化を持ち、近隣諸国と友好関係を結び、平和で自然に恵まれた「豊かな暮らしのできる島」であった。しかし、熾烈な沖縄戦は住民を巻き込み、20万余の尊い命と貴重な文化財や街や家屋を失った。敗戦後、米軍によって土地が接収され悪条件の土地のみが断片的に開放され、総合的な都市計画のないまま市街化が始まった。一方、良好な土地には広大な米軍基地が築かれ、現在も大半は存在する。その面積は242㎢、実に沖縄本島の約20%を占める。そして、復帰後の5兆円を越える沖縄振興資金の投入によって、経済繁栄と共に都市化やスプロール化が進んだ。敗戦直後原野にあった普天間基地は今や密集市街地の真ん中に位置し、大きな危険をはらんだまま、移転先も跡地利用の方針も決まらず、現在に至っている。

世界は大きな変革の時代に入っている。沖縄は、太平洋の軍事拠点としての国際政治問題、経済や地方分権などの国内問題、自立経済を目指す地元の問題などを抱えている。そして私たち建設関係者にとっては、先の見えない経済的不況の中での苦悩とともに多くの環境・都市・交通・住宅問題があり、その多くは解決を見ていない。その根本的原因が、基地問題と復帰後の急激な開発であり、次に沖縄が亜熱帯気候の島嶼地域であるという特殊性を生かすことも長期的展望に立つこともなく、ただ日本本土に似た地域開発や街づくり、家づくりがされてきた所以であろう。

これらの沖縄の諸問題を解決すべく、建築や都市計画の専門家の集まりでボランティア型のプロジェクトチームであるWRAP委員会のメンバーはこれまで、基地のない自立経済を目指した「持続可能な開発-沖縄モデル」を求めて、96年より県と共に国内外の有識者を招き住民参加型のワークショップを数度にわたり行って来た。

また、97年より毎年ヨーロッパで開かれた地域開発や大規模団地再生の国際会議への参加や地域・観光開発地などの視察をしてきた。
例えば、ドイツの旧工業地帯ルール地方のIBAエムシャーパークの地域開発では、様々な分野の専門家が既成組織から離れ新たな公社を作り、期間を10年と限定し、IBA(建築展)という公開の手法で、建築や都市づくりの89のプロジェクトを環境問題を中心に展開されたこと。また、地中海に浮かぶスペイン・マジョルカ島(沖縄本島の3倍の面積で人口は約50万の観光地)は、沖縄に比べ海も陸も豊かではないが、年間900万人の観光客が訪れ平均11泊するという。つまり、沖縄の観光客の10倍の延べ人数となる。この島には4000mの2本の滑走路をもつ巨大な空港がありヨーロッパの主要都市と結ばれている。しかも、次世代の新しいリゾート開発を目指し、世界的建築家を招きパルクビットというコンペが行われ進みつつある。また、旧東欧では、社会主義時代に建設されたパネル工法の住宅団地の7000万戸が老朽化し、東西冷戦終結と共に人口流出・都市の荒廃が進み大きな社会問題となり、団地や街の再生が行われている。諸外国の各都市も様々な問題を抱えている。その事例報告や視察は沖縄の将来を考える上で参考なるところが多かった。また、スペインで聞いた話であるが、知事・市長など行政のトップは常に政治家であるが副知事や助役は都市計画や建築家の出身で、将来の建築・都市づくりが常に議論されているという。ヨーロッパの多くの都市が個性的であり、建築都市づくりが社会資本として位置づけられている理由でもある。

沖縄の開発も街づくりもこれまでの開発方針や手法を見直すべき時期にきている。もっと長期的展望に立ち、沖縄の特殊性にあった持続可能な開発を目指すべきであろう。そのために、将来の沖縄のグランドデザインを総合的に論じる場と組織を作るべきであろう。
前述した国際ワークショップ「持続可能な開発-沖縄モデル」では、98年12月、沖縄・ドイツ・台湾・カナダの4チームで普天間基地の跡地利用の国際コンペが行われた。私も沖縄チームのメンバーの一人として参加した。嘉手納エリアの国際ハブ空港化と中央行政業務地区化、瑞慶覧エリアの医療・保養地区化、普天間エリアの公園・都市住宅化、そして嘉手納から那覇港までの海岸のリゾートエリアとしての再生など交通再編や既成市街地再生を含めた広範囲な総合的計画である。
今、日本全体がバブル崩壊後、建設や開発が斜陽とされ自信と希望を失っている。しかし、世界の多くの都市は将来に向けて着々として開発整備している。

沖縄には、新しい建築や都市を夢見て、基地の跡地を生かしながら子供や世界に誇れる「島」をつくろうとする活力がまだある。沖縄は、日本のためにも東南アジアのためにももっと頑張らなければならない。そして、今私たちはボランティアでフィリピン・ルソン島北部で180haのボーイスカウトのキャンプ場計画を進めていることも付け加えておきたい。