9月11日午後10時(日本時間)過ぎ、世界貿易センター北棟の火災のニュース速報から始まった映像は、数分後の旅客機の南棟への激突、ワシントンの国防省の建物の火災、そして、2棟の超高層ビルの崩壊とニューヨークの街の混乱を映し続けた。この同時多発テロの衝撃的な生の映像は全世界の人々を言い知れない恐怖に陥れ、世界の政治・経済状況を一変させた。
私はこれまで2度、北米を訪れている。ニューヨークは世界経済の中枢として繁栄する巨大都市で、数多くの高層ビルが林立し、見上げる空はどこまでも細長く、道路は谷底のようで昼間でも薄暗く、マンハッタン島の中央にあるセントラルパークは信じられないくらい広かった。世界貿易センターはマンハッタン島の北端にあり、日系建築家ミノル・ヤマサキの設計によって1977年に完成した地上110階、高さ420mのツインタワーである。このビルの屋上の展望コーナーには多くの観光客が訪れ、ここからマンハッタンや自由の女神像などの「ニューヨークの風景」が一望でき、アメリカのスケールの大きさとパワーを体感できるところであった。首都ワシントンは、政治の中枢として美しく整備され緑の多い美しい都市で、国防省の建物は一辺が280mの五角形であるため、ペンタゴンと呼ばれ、3万人が働く巨大なビルでアメリカ陸海空軍の総本部である。どちらも美しく計画された国家の威信と歴史と都市の誇りを感じさせる建物と都市であった。
事件が起きて2週間が経つ。多くの行方不明者はいまだ発見されず、死亡者は6000人を超えると言われている。一方、テロ集団への報復のための準備が着々と進み、今にも報復攻撃が始まろうとしている。報復攻撃の的であるアフガニスタン。ここも20数年前に訪れたことがある。イランのテヘランから飛行機で渡った。空から見るアフガニスタンは、どこも赤茶けた険しい山々で樹木は全くない乾燥地帯である。谷間の川添にかすかに緑があるのみだ。首都カブールも街全体が土色であり、街の官庁街のみが新しい建物があるがどこも古びた建物で、イスラム国家らしく街を行き交う人は民族衣装をまとった男性ばかりで表情のない貧しい人が多かった。これまで訪れたどの国よりも貧しくタイムスリップしたような国であり街であった。タリバンによって最近破壊された巨大な仏像のあるバーミアンは、シルクロード時代に東西文明の要衝地として、多くの仏教徒が集まり、交易で栄えたところであった。しかし、その後イスラム教徒により街は破壊され衰退し、今は仏跡のみが残る。街には電気もなく暗かった。夜明前、何十頭ものラクダをひきつれた隊商が私の泊まった安宿の前を通り過ぎた。夜空は信じられないほどの多くの星が美しく煌めいていたことを覚えている。
今回のテロは、民間航空機を使い一般市民を標的にした残忍な行為であり、強い憤りを感じると同時に、これから始まる報復攻撃でも一般住民が巻き添えになり、多くの命が奪われることに危惧する。在沖米軍基地も厳戒態勢にあり、沖縄もひどく緊張している。56年前の沖縄戦ではたった3ヶ月の間に今回の米国同時多発テロの30数倍の20万人を超える人々が亡くなった。琉球王国時代のシンボルであった首里城の地下に日本軍の司令部が築かれ、日本軍と米軍の熾烈な戦いが始まり、多くの沖縄の住民が巻き込まれた。死者は、米軍1万2000余人、日本軍10万余人、一般住民10万余人と聞く。戦後の平和な時代に生まれ育ち、書籍と記録映像でしか戦争を知らない私達にとって、今回のアメリカのテロ事件の惨状をテレビで目の当たりにして、56年前の沖縄戦がもっと悲惨で、もっと熾烈であったことを再認識せざるを得ない。
戦前の沖縄には数多く琉球王国時代に育まれ世界に誇れる貴重な文化財や建造物があった。亜熱帯の気候と島しょう地域の風土を生かした街や家屋の中で人々は平和に暮らし、沖縄独特の文化・芸術・音楽が栄えていた。しかし、たった3ヶ月間の沖縄戦で一般住民の多くの命と、何百年もかかって培った伝統・文化・建物・街など「すべて」を失ったのである。沖縄は、沖縄戦によってすべてが分断されたのである。新しい国アメリカでさえ、歴史や文化を感じさせ、世界に誇れる都市や建物がある事を考えると沖縄は、あまりに寂しい。
アメリカの経済繁栄を誇り、建築技術の粋を集めて造られたあの世界貿易センタービルが崩壊した瞬間を見て、人の造った都市や建築の脆さと儚さを感じた。そして逆に、より情熱を持って沖縄の建築の設計や街づくりをする決意をした。
このテロで、亡くなった人々の御冥福を祈りたい。そして、アフガニスタンの街で知り合い、家に招いてくれた名前も住所も分からない家族のことが今、心配だ。