I have a DREAM.(私には夢がある。)これは、米国の故キング牧師の有名な演説のタイトルである。彼はアメリカでまだ人種差別のひどかった時代に、非暴力思想による黒人の公民権の要求と差別撤廃を訴え続け、1968年39才の若さで凶弾に倒れた。

現在、私たちは、数人の若いメンバーと那覇で小さな設計事務所を営み、時には他の小さな事務所と協働して夢を追って建築設計や街づくりの活動をしている。20年ほど前、滋賀県出身の私は、沖縄出身の大学の先生の縁で大学時代初めて沖縄を訪れた。日本本土とまったく異なる沖縄の気候風土に触れ、建築を志す私にとって、沖縄のすべては刺激的であり、新しい建築や街づくりの可能性があるような気がした。その後、建築家原広司のアトリエ事務所に勤め、小住宅から超高層の建物など様々な設計や国際コンペなど、8年余の間、家にもどる暇もないほどよく仕事をした。首里の守礼門横の赤瓦の城西小学校の設計や監理も当時の仕事のひとつであり、建築設計の無限の可能性と楽しさを原広司の仕事から教わった。そして11年前、仲間とともに独立した。

事務所の名前を空間計画VOYAGERと名づけた。それは、新大陸を求め大海原を行く航海者の意であり、未知の宇宙を探査するの人工衛星の名でもあった。沖縄に建てた自邸と友人の家の設計がきっかけで沖縄を拠点として設計活動を始めることとなった。私たちはこれまでの沖縄の住宅とは異なる、涼しく快適でしかも安価な新しい沖縄の住宅を試みた。自邸は18坪の不整形の土地に建つRC造の倉庫の上階に、2層の21坪の住居を550万の予算で、「楽しく美しく夢のある住宅」を造った。コスト的にも面積的にも既成の住宅設計手法ではとうてい解決できない代物であったが、完成して、近所の子供達は私の家を「宇宙船のようでかっこいい」と評価してくれた。そして多くの人はこの「住宅らしくない住宅」を見て、「こんな家もできるんだねぇ」そして、「住めるんだねぇ」と感想をもらした。

古い住宅が少ない沖縄の中で中城の中村家は、亜熱帯気候の沖縄の住宅づくりに示唆深い。広い縁側や中庭空間は現代の沖縄住宅に必要なものである。心地よい風を導いたり、住宅の居住性を上げゆとりを生み、人が集まる場ともなる大切な場である。これをヒントに私たちも、「パティオ」と呼ぶ天井の高い広い半戸外空間を家の中央にもつ新しいタイプの沖縄の住宅を造り続けている。なかなか好評であり、その良さが認知されてきたのかこのような半戸外空間をもつ住宅が次第に増えてきている。

数年前、沖縄県は大きな重要施設の設計者を設計競技(コンペ)で選んだ。私たちのような小規模なアトリエ事務所にもチャンスが回ってきた。普段は住宅のような小さい建物を設計している小規模事務所が数社集まり、チームを組んで挑戦した。私たちのチーム名は、チーム・ドリーム。メンバーは新しいアイディアと熱い情熱を持った夢多き若者ばかりであった。すでに完成した糸満市摩文仁の沖縄県平和祈念資料館と現在工事中の沖縄県総合福祉センターは、そのチーム・ドリームの夢の結晶である。専門学校や大学の学生も集まり、大きな模型制作を手伝ってくれたこともあった。多くの人に支援を受けながらお互いのノウハウを出し合い協働して設計活動をしている。

1998年、沖縄の米軍基地跡地の国際指命コンペがあった。ドイツ、カナダ、台湾、沖縄の4チームが参加した。与えられた課題は瑞慶覧、普天間の跡地の利用であったが、戦後の沖縄の都市形成の歴史を考えると、中南部の全域の再生、つまり、嘉手納飛行場やその周辺敷地そして那覇市など広範囲なエリアを総合的に計画することが大切だと考え、50年・100年という長期的なスパンを考慮した案を提出した。アジアの戦略軍事拠点である嘉手納基地のハブ空港化や業務地区化は現時点では“夢物語”かもしれないが、自立経済や国際都市を目指す沖縄にとっては極めて重要である。また、基地の跡地の積極的開発こそが都市のスプロール化や既成市街地の都市環境改善と都市周辺の自然環境保護へとつながると考えた。

今、2つのむずかしいプロジェクトで頭を悩ましている。ひとつは、広大な埋め立て地にある240m四方の住宅地計画で、中央に広い公園を設け、街路樹の美しい幅広い道路をつくり、安全で緑あふれる住宅地をつくること、各住戸は土地約50坪、建物は約30坪弱としその上、一戸当たり土地と建物で総額2000万円以下を目指している。パティオをもつローコストの住宅の実現を夢みて、みんなで知恵を出しあっている。もうひとつは、ある老朽化した公営団地の建替・再生計画である。立替の公的資金不足や公営住宅数の充足、現在住んでいる住民の移転や家賃や維持管理費など、多くの解決すべき問題がある。しかし、これらの団地は、あるまとまった広さの敷地を有し、これまで培ってきたコミュニティがある。団地全体を公園化し、様々な公共施設を配し集合して住む楽しみを感じられる住宅地に再生しなければならない。せちがらい世の中にあって、老朽化した団地を夢のようなユートピアに再生をしなければならないと思って努力している。

かつての琉球王国のように環境共生型のニライカナイのような島を造ることは簡単ではない。しかし、新しい沖縄を夢見て、沖縄県民一人一人が夢を持ち、構想を練り、具体的な街づくりや建物をつくり、子孫や世界に誇れる“島”を残すために「夢を設計し、建設すること」が今大切であると考えている。